香川県高松市の司法書士 川井事務所です。
商号譲渡人の債務の免責の登記の文言としておなじみ「~の債務については責に任じない。」。
法務省通達の登記記録例や書籍、業界誌「登記研究」「登記情報」の記載例でもよくみかけると思います。
ところがこの文言では登記できないという法務局(登記官)が登場しました。
事例
- 株式会社B(旧商号株式会社A)から株式会社Aに事業譲渡があり、株式会社Aに商号譲渡人の債務の免責の登記を申請することになった。
承諾書の記載
当社は、当社が貴社との間で締結した令和●年●月●日付事業譲渡契約(譲渡日は令和●年●月●日)に伴い、譲受会社である貴社が譲渡会社である当社の債務を弁済する責任を負わない旨の登記をすることを承諾する。
申請書の記載
当会社は、令和●年●月●日事業譲渡を受けたが、譲渡会社である株式会社B(旧商号株式会社A)の債務については、責に任じない。
これまでも上記のような記載で免責の登記を申請してきて、特段の問題も発生しなかったので今回も問題ないはずだと思い、2025年7月、高松法務局に申請しました。
すると、法務局から電話があり、「~の債務については、責に任じない」という文言では登記できない。「~の債務を弁済する責任を負わない。」に補正せよと言ってきました。
聞くと、登記記録例がそうなっているし、会社法の条文もそうなっている、承諾書の文言も会社法の条文どおりになっているからそれに合わせるべき、ということのようです。
平成30年の登記記録例があり、窓口まで来ればみせてやってもいいといいます。
(まあそれはいいけど、ずっと人のことを馬鹿にした笑いを含ませて話してくるという大変ユニークな態度の登記官でした。)
その登記記録例はそうかもしれないが、会社法施行時の登記記録例は申請したとおりの文言のはずだし、平成30年以降も申請したとおりの文言で登記は通っている、そんなことは初めて言われた、ということを伝えても、今までのことは知らんが、とにかく法律が変わったら新しい法律に従わなければならないように、最新の登記記録例でなければ登記できないし、会社法の条文もそうなっているから、というのを繰り返すだけです。
いったん、調べさせてくれと電話を置こうとしたら、「法務局の職員が言っていることなんだから正しいに決まっているww」というようなことをいい、人のことを馬鹿にした笑いを怠らないご様子。
その瞬間、ある光景が脳裏に浮かんだといいますか、何か察したような気がしたのですが、まあそれはここでは触れません。
通達
自分の記憶している限り、会社法施行後、登記記録例に関する通達は2回あったと記憶しています。
法務省のサイトを確認すると、やはりそうでした。
法務省サイト
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_00098.html
会社法施行時の「平成18年4月26日民商第1110号依命通知」と、平成26年会社法改正時の「平成27年2月6日民商第14号依命通知」です。
免責の登記については、平成26年改正は関係ないので、平成18年4月26日民商第1110号依命通知の方に記載例があります。
その記載例は次のとおりです。
当会社は平成19年10月1日商号の譲渡を受けたが、譲渡会社である東洋電気器具株式会社の債務については責に任じない。
これ以降に何か通達があったのか、調べてみてもわかりません。
平成30年の登記記録例って何?
ここは時間を取らせてしまって申し訳ないが、広島のK先生に聞いてみようと連絡してみると、光の速さで回答があり、これのことじゃないですか?と2019(平成31)年3月にテイハンから出版された『商業登記記録例集』の該当箇所を送ってくださいました。
あわせて同年4月にテイハンから出版された『商業登記書式精義(全訂第六版)下巻』の免責の登記の記載例も送ってくださいました。
なんと有難い。
なお、そのK先生の事務所でも前月に免責の登記を申請したそうですが、「~の債務については責に任じない」で問題なく登記できたようです。
平成30年ではなく、平成31年出版なんだけど…という細かい違いが気になるものの登記官が言っているのはどうやらこのテイハンの登記記録例のことを指していると言ってよさそうでした。
テイハンのウェブサイトをみると『商業登記記録例集』の編者は、法務省民事局商事課となっています。
とはいえ、通達ではなく、いち出版社が出版しているこの本が通達と同等の位置づけになるというのでしょうか。
登記官は通達に拘束される(『商業・法人登記500問』23ページ参照)という理解でいましたが…。
『商業登記記録例集』は文字どおり「例」に過ぎないはずです。
なお、『記録例集』よりも後に、同じくテイハンから出版された『書式精義』の記録例は「~の債務については責に任じない」となっていました。
会社法の条文
会社法第22条の条文は次のとおりです。
(譲渡会社の商号を使用した譲受会社の責任等)
第22条 事業を譲り受けた会社(以下この章において「譲受会社」という。)が譲渡会社の商号を引き続き使用する場合には、その譲受会社も、譲渡会社の事業によって生じた債務を弁済する責任を負う。
2 前項の規定は、事業を譲り受けた後、遅滞なく、譲受会社がその本店の所在地において譲渡会社の債務を弁済する責任を負わない旨を登記した場合には、適用しない。事業を譲り受けた後、遅滞なく、譲受会社及び譲渡会社から第三者に対しその旨の通知をした場合において、その通知を受けた第三者についても、同様とする。
3・4項(省略)
会社法の条文はたしかに「~の債務を弁済する責任を負わない」となっています。
一方で「~の債務については責に任じない」という言い回しは、旧商法の条文に基づいています。
会社法の条文の文言に合わせるべきなのかもしれませんが、合わせなければならないと言われると会社法施行時の平成18年4月26日民商第1110号依命通知の「~の債務については責に任じない」は会社法の文言とは異なり、なぜこの時に会社法の文言に合わせなかったのかという疑問がわきます。
なぜ法務省はこの通達を未だにウェブサイトで公開し続けているのでしょう。
登記事項の表現についてのルール
登記すべき事項の中には、法務省が定めた登記記録例以外の表現での登記が認められないものがあります。
しかし、免責の登記は、上記に該当しないと考えられます。
また、添付書面の文言と申請書の登記事項の文言が一致していなければならない登記事項もありますが、免責の登記がそれに該当するとは考えられません。
定款の文言と申請書の登記事項が一致していなくてもかまわないものもあります(『Q&A商業登記と会社法-司法書士が押さえておきたいポイント-』11~17ページ)。
承諾書の文言と申請書の登記事項の文言が必ずしも一致していなくてもよいのではないかと考えます。
結果
上記の内容を簡潔にまとめて、補正する理由がない旨を書いた文書を法務局に送りました。
それと同時に依頼者に対して状況を説明し、これでさらに法務局が何か言ってくるようなら、時間もかかってしまうことから、法務局の言うことに従うかどうかの確認を取りました。
文書を送った日の翌日に法務局から電話があり、今回は法務局側で文章を直すといいます。
最新の登記記録例でなければ登記するわけにはいかないといいます。
こちらが何をどう言っても、相手は「最新の登記記録例がそうなっているし、会社法の条文もそうなっているから」を繰り返すばかりです。
まるでドラクエの町人のように。
もう何を言ってもダメだと思い、相手の言うことに応じることにしました。
念のため、登記官のいう平成30年の登記記録例とは何か確認すると、やはりテイハンの『商業登記記録例集』のことを指しているようです。
そして、これは高松法務局の見解なのかと問うと、高松法務局の見解なのだといいます。
今後、将来の申請について、テイハンの『商業登記記録例集』の記録例でなければ登記できないのかと問うと、それは今回だけの話だといいます。
予測可能性がないのではないか?と尋ねると、会社法の条文の文言どおりにすればよいといいます。
事件後すぐにテイハンの『商業登記記録例集』を買いました。
これが本人申請だとしたらどうなのでしょうか。
一般の書店で売っていないような書籍の文例を記載しなければ手続きできない行政サービスとはいったい…。
そして『商業登記記録例集』の公告方法の記録例が「官報に掲載してする」となっているのをみて、会社法の条文どおりにすべきという主張を貫くなら「官報に掲載する方法とする」が厳密に言えば正しい表現なのではないか、と思ったのでした。
参考書籍
『平成27年施行改正会社法と商業登記の最新実務論点』金子登志雄(著)・東京司法書士協同組合(編集)|中央経済社
『Q&A商業登記と会社法-司法書士が押さえておきたいポイント-』加藤政也(編集)|新日本法規
『商業登記記録例集』法務省民事局商事課(編)|テイハン

商業登記記録例集
『商業・法人登記500問』神﨑満治郎・金子登志雄・鈴木龍介(編著)|テイハン

商業・法人登記500問 [ 神崎満治郎 ]
当事務所のご案内
— どうぞお気軽にご相談ください。—